京都の大文字焼を考える。

津波で1本を除いてすべて倒れた松(陸前高田市『高田松原』)で作った薪を、
京都五山送り火で燃やすプランが中止になったらしいけど、
そんな京都府民にはがっかりだし、人の気持ちを無視して、何が伝統の大文字焼、だと言いたいよ。

大文字保存会の事務局である京都市文化財保護課に中止を求める苦情があったらしく、
根拠のない放射能汚染を心配しての苦情には実に嘆かわしいし、怒りさえ覚えるよ。
これじゃ、京都は保守的で自分のことしか考えないお公家さん体質だと思われても仕方がないよ。

市では検査を実施して放射性セシウムの検出が見られなかったことを確認しているのにもかかわらず、
これは被災地の人々の純粋な気持ちを踏みにじっていることに他ならないよ。
と言うのは薪には1本、1本、被災地の人々の復興への願いが自筆で書かれていたからなんだ。

保存会が被災地に対して亡くなられた方への鎮魂と復興への願いを願って、
陸前高田市の『高田松原』の松を奉納を要請したこと自体は実に心温まるプランだったし、
一部の心ない市民の苦情にあえなく中止なったことは、もはや風評被害に他ならないよ。

折角、事務局の善意で呼びかけたことが中止になったことは残念だし、やりきれないよ。
今回のこの騒動で3.11以来、絆、という言葉がもてはやされているけど、
実に虚しく感じてしまうのはワシだけではないと思うよ。


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