テーマ:新居浜の文化財・産業遺産

新居浜にも高村光雲の作品が存在する。

広瀬記念館の入り口の芝生の中央に建っている広瀬宰平翁の銅像がそうである。 広瀬宰平の古希祝いに住友家から贈られたもので当時の東京美術学校に依頼し明治31年に完成。 しかし第2次世界大戦で供出を余儀なくされてなくなっていたが、 平成15年に高村光雲作の木型が東京芸術大学で発見され復元された。
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三義民の碑と墓。

江戸中期9代将軍家重の時代に西条藩の重税に苦しむ百姓は俗に言う『宝暦一揆』を蜂起した。首謀者は村上平兵衛、高橋弥市衛門、高橋孫兵衛で直訴に及んだが入牢させられ約1年後西条藩の処刑場で斬首された。 結果的に税を減免され、その後、百姓たちは各地に石碑や祠が建てられ三人の遺徳を讃えている。碑、墓のいずれも昭和60年に新居浜市の史跡に指定…
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黒石駅跡(旧住友鉄道)に行ったけど・・・。

ここには昨年も訪れようとしてスズメ蜂に追いかけられ命からがら逃げたんだけど、その時、4mくらい下を流れる国領川に落ちそうになったいわく因縁のある場所なんだ。 この季節はあの恐ろしい殺人スズメ蜂もいないだろうと、再度試みた訳。黒石駅跡はマイントピア別子のすぐ近くなんだけど、知っての通り上り坂の連続で凄くしんどい。 とにかく、一…
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宝篋印塔(ほうきょういんとう)。

昭和52年新居浜市の有形文化財に指定されている。新四国八十八か所9番札所上郷薬師堂の敷地内に建立され、三重の石積の上に造られ完全な形で現在あるのは珍しい。恐らくは鎌倉時代に遡ると思われる。 宝篋印塔とは宝篋印経にある陀羅尼を書いて納めた塔で日本ではふつう石塔婆の形式の名称とし、方形の石を、下から基壇・基礎・塔身・笠・相輪と積み上げ…
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旧広瀬邸パート2。

客は新座敷からこの庭を眺めながら酒を呑みながら別子銅山や日本の将来を議論していたのだろうか。はたまた、広瀬自身、この庭を愛でながら住友を辞する決意を固めたのか、そんなことを思わせる素晴らしい庭である。 元々は広瀬邸は久保田町に建てられていたが、明治18年現在地に移転。それ以来、明治、大正、昭和に亘り新座敷、庭とその周辺を整備し現在…
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旧広瀬邸。

この旧広瀬邸を初めて見学したけど、あまりの素晴らしさに言葉を失うほどだったし、広瀬宰平がいかに近代化を推し進めたか、わかるような気がしたよ。まあ、写真を見れば一目瞭然。 ≪避雷針が設けられている。多分、当時この辺りには高い建物が無かったんだろう?≫ ≪人力車の車止め。今なら車庫。玄関の手前に建てられている≫ ≪…
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広瀬歴史記念館。

今更、広瀬宰平についてここで説明はしないけど、広瀬歴史記念館に見学に行くと彼が別子銅山に残した足跡の大きさを改めて認識できるよ。新居浜市民であれば是非訪れて欲しい記念館だなあ。 ≪入り口≫ 入場料は520円。 ≪広瀬宰平が銅山の行き戻りに使用した籠で、籠を利用できたのは重役・賓客だけだった≫ ≪広瀬宰平が使…
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山根収銅所(新居浜の文化財シリーズ・産業遺産)。

16日早朝、太鼓台が登ることで有名な内宮神社の階段の踊り場右手にこの収銅所がある。明治38年に建設された設備なのに、今日でも脈々とその機能を失うことなく稼働しているのは凄い。 別子銅山の坑内排水は銅などの重金属を含んでいる為に浄化しなければならない。その為に設けられた設備で、この水路を2~6時間かけて浄化され問題のない水となる。 …
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大山積神社(新居浜の文化財シリーズ)

新居浜市民であれば誰でも大山積神社の存在は知っているじゃないかなあ。それでも、山根テニスコートや体育館を利用したことがあるだろうけど、この神社を訪れたことのある市民は意外と少ないんじゃないかなあ。 敷地内には独特の造りの別子銅山記念館(有料)が併設されているし、住友鉄道で活躍した機関車も展示されているよ。普段は誰でも立ち入ることも…
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龍河(たつかわ)神社(新居浜の文化財シリーズ)

この神社の社叢の草木は昭和63年に新居浜市の天然記念物に指定されている。道路沿いの鳥居をくぐると参道は急な階段となっており、その数は285段もあり本殿まで辿り着くのはかなりきつい。 面白いのは、階段を登っているといたるところに未だ熟れていない栗の食べカスが散在している。この辺りでは度々野生の猿が目撃されているから、恐らくはそれらの…
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高柳泉公園。

考えてみれば、以前から車でここをしょっちゅう通っていたけど、車を降りてじっくりと観て回ることはなかったなあ。多分、赤石山系の伏流水だと思うけど、湧き出る泉は想像以上に素晴らしいよ。 小魚やかなり大きい鯉の姿も観ることが出来るし、何よりも水底に生えている緑藻と澄み切った水のコントラストが実に気持ちがいいし、じっと見ていると心が洗われ…
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えんとつ山(新居浜の文化財シリーズ・産業遺産)

新居浜市民なら、えんとつ山、は誰でも知っていると思うけど、さて、登ったことのある人はどれくらいいるかな。ワシは小学校の時、一度だけ遠足で登ったことがあるけどその時の記憶は残念ながらないなあ。 まあ、新居浜市民としてはあんまり自慢は出来ないが世界で初めて起きた公害訴訟の象徴とも言えるよ。明治時代、この煙突から排出された煙害でこの辺り…
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立川(たつかわ)界隈。

山根公園からマイントピア別子までの間には結構興味を引くものがあるよ。余計な説明より写真を見て貰った方がわかりやすかな。 若宮神社は山のすそ野にへばりつくように建てられた小さい小さい神社。 新居浜にも吊り橋があるよ。川向うの10軒足らずの住民の皆さんの大切な生活橋なんだろうなあ。実際、渡ると結構揺れて怖いよ。定員は…
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立川中宿跡(新居浜の文化財シリーズ・産業遺産)

現在では当時の様子を知る建物は無いが、山のうっそうとした草木の中に赤レンガ造の建造物が残っている。場所は立川自治会館の脇を行くとすぐ広い場所があるからすぐわかる。 ≪立川中宿とは≫新居浜市のHPから引用 元禄15年(1702)設置。 のちの立川出店で、幕末期土蔵を7棟所有していた。その役割は、立川仲持(物資…
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カメ谷の窯跡(新居浜の文化財シリーズ)

場所は池田池の菖蒲園に通ずる道沿い(奥の駐車場の南側)の土手にあるが、現在ではその窯跡の面影は見られない。昭和27年の発掘調査では大量の須恵器、硯、瓦等々が発見されている。 調査の結果、8世紀中頃のものと判明したが、その背景として当時の船木は奈良東大寺の荘園だったことが文献にも残されており、当時の奈良の文化が流入していたことが推察…
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吉岡泉。

国道11号線国領大橋の堤道に沿って南進するその先にうっそうとした森に出くわすよ。そこには新居浜市の吉岡送水場があり、その南側にかなり大きな面積を有する吉岡泉があるんだ。 残念ながら、その周りは鉄柵があり立入禁止なっており湧き出ている泉を見ることは出来ないんだ。と言うのはそこは住友化学の私有地らしくいたるところに立て看板があり結構厳…
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常夜灯。

常夜灯とは現在で言う『街灯』で、夜の安全の為に街道沿いに設置され道しるべ的なものが多い。また、港町では大型の常夜灯も見られるが、これは灯台として設置されたものがほとんどである。 昔の常夜灯は一晩中ろうそくや菜種油で点されていたが、現在では管理する人もいない為に全国的にみれば取り壊されることもあるが、地域に根ざしてい…
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船木高祖の三島神社(新居浜市の文化財)

高速新居浜インター近くにある三嶋神社でとにかく目につくのが立派な大鳥居。また、イチイカシの大木を中心とした社叢は昭和60年新居浜市の特別記念物に指定をされている。 拝殿、本殿の手前にある手水場には龍の彫り物(鋳型?)があり、その龍の口から流れ出る水がいい。その正面には絵入りで親切に使い方がわかり易く説明書きをされている…
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